役者としての原風景とか原点といったものは、少年時代にありそうですね。それは、時を経て、孫三郎を返上することに繋がっているのでしょうか
やっぱり、なんて言うのかな。そういうところ、人間が、人形を使って何になるのか、ということはちらちらっと、かんがえたと思います。
で、人形遣いになったというのは、先ほど言ったように、中学2年くらいのときに、いろいろ考えたことは、自分は、仮に、まあ、ずっと、人形を遣ってなかったけれど、4歳から人形と付き合ってきて、そうなりますと、8年ですか、8年くらいやってきて、で、何になるんだろう、というようなことはかんがえましたね。
ほんとに人形遣いでいいのかなあ。もしかすると、自分の中の可能性には、もっともっと他にいろんな可能性があるんじゃないかと、それは思いましたね。それを一からやった方がいいのかなと。
ですから、その時には、ある意味で、文学系に進みたいなあとか、いろいろ思ったことはありますね。そう考えていくうちに、いや待てよ、この8年間ってのは、ぐだぐだやってたけれども、でもその8年間というものをゼロにしちゃって、一から始めたら、この8年間は何だろうという気がしたんですよね。
そうすると、最初から始めないといけない。ゼロから始めることになる。そうするとねえ、それが実際、自分にとってプラスになることなのか、またはある意味、偉そうな言い方になるけれど、社会に対してプラスになるんだろうか。やっぱり、この8年に上乗せしていって、物事考えていく方がいいんじゃないだろうか。
で、実際、人形遣いになるのが、正解なのか、それとも他の自分の可能性見つけて、そこへ進んでいくのが正解なのか、そんなことは死んでみないとわかんないんじゃないか、死んだってわかんないかもしれない。そうすると、わかんないだったら、ある程度、わかるところまで、わかるところまで、自分がいかに近づけるか、そうなると、8年早く近づけるじゃないか、先に行けるじゃないかと。だったら、やってみるかあ、みたいな。
前向きな少年だったんですね
そんな感じがしましてね。(笑)
ところで多感な少年時代は戦時下です。戦争についてどう思われますか
そうですね。やはり戦争が起こった時代、それはまだ小さかったですから、その辺ははっきりと戦争というものに自覚はなかったですが、実際に、戦争というものについて自分が考えたりしたのは敗戦後ですね。
敗戦したときに、それこそ、僕らが学校で教育されてきたものがひっくり返されてしまったり、僕たちが、自分たちを守ってくれるとか、国を守ってくれるとか、ある意味で、英雄視していた兵隊さんや、将校とか、全部ひっくるめてですけれど、それが、終戦後、引き上げてきて、あるいは現地から還ってきた人たちもそうですけれど、それが、あっという間に、これからどうやって生きていけばよいのか、というところに、変わっていった。働くところもないわけです、彼らは。
となると、いちばん手っ取り早いのは、ヤミをやることだと。買い出し行ったり、昔買い出し列車ってありましてね。買い出しに行っている人が、兵隊崩れと言うかな、軍隊崩れの人が多かったですね。
ですから、あっという間に、闇商人みたな人たちが増えて、自分たちが食べるのではなく、いかに売るか、というひとつの買い出し業をやっていた。
そうなると、たくさん持っていくには、たくさん買っていかないといけないから、荷物が多くなる。女や子供なんてのは、どんどんどんどん押されて、列車にも乗れなかったりするわけで、ああ、こんなにも変わるのかと思いましたね。
当時、上野の地下道とか、歩きますと、たくさんの浮浪者や浮浪児がいるわけですよね。そうすると、浮浪児は元気だったんだけれど、浮浪者の方は、地下道で寝てて、あれ、この人生きてんのかな、死んでんのかなあと思うわけすね。息をしてんのかな、してないのかなと。
よく見てみると、息をしてなかったりするわけで。傍に行って、手で触ったわけでもないのですが、何となくそういうことが分かって。でも、それをすまあして、見過ごしていく、行ってしまうというのが、だんだんだんだん嫌になって。
なんで、こうモノになっちゃうんだろうと。人間というものが、そこに転がっているモノみたいに、石ころみたいな感じがして。
戦争って、やっぱり、そのとき、きちんとそう思ったわけではないけれど、人間性を失っていくものなんだなと。
だから、戦争は嫌だな。あってはいけないんだなと、思いましたね。
人格が一変に変わってしまう。
そういうことで、戦争は、ある意味で、僕らにとって、一つの傷かもしれない。そこから、何か出発していくような気がしましたね。
そういった戦争体験は芸に影響を与えていますか?
それは、分からないですね。