別冊トランスアーツ|ロングインタビュー「春夏秋冬」人形遣い田中純の世界















いつの時代も常に現在形で生きていらっしゃる。芸事も将来を見据えて挑戦している田中さんですが、ふと引退とか、今後のことは考えますか

役者とか、そういったものが、引退を考えられることになるのは、幸せなのか、不幸なのか、分からないんだけれども、でもほとんどが、やり残しているから。

というのは、いつも、生身でもって社会と接してたから。そうすると、そこに留ままると、自分が完全に取り残されるわけじゃないですか(笑)。
あと、仮に、引退して生きてる時間って何なのってことになっちゃう。

そうすると、やっぱり、、、、ひとつの芝居者としては時代と一緒にずっと生きていく、というふうに、時代を見ていく。そんなかで、また自分を見ていくという作業というは、ずっと続くんじゃないか。

だから、僕は、引退って考えないな。
だけど、止めたくなるってことはあるかもしれないけれどね。(笑)

儀式的な引退はない。時代に添い寝していくわけだから、時代が続いていく限り、自分の芝居も続くだろうと

よっぽど、自分がボケちゃわない限りですね。(笑)





長い歴史をもつ結城座をやがて背負う環境のなかで、田中さんにとって、役者を継承していく、ということはどのようなことでしょう

これはとても難しいことですね。繋いでいくってことは、それをそのまま大事に次の時代に渡していく一つの、中継ぎの行為であるかということを考えると、やっぱり、そうではなくって、そこからもう一歩踏みだしていかなくちゃいけない。

だから、継承、伝承とよく言われるけれども、古典の伝承とかいうふうに言われるけれど、それは、本当には、ないことじゃないかという気がしますね。

じゃないと、非常に、こう、博物館的なもの、展示されたものになっちゃう。
やっぱり、先ほどもお話したけれども、時代っていうのがあって、いくら古典でも、いつもいつも、新しい時代、新しい時代に生きてきたわけなので、そういうものが必要性があったからのこっていくんであって、だから継承っていうのは、必要性をいかに、継続させていくかということですよね。

これらは、無形なものですから、技術というものを継承しようとしても、個人個人としての差があるから、それは難しいけれども、時代の中で、一つの必要性があるかないかで、一つの自分がそこまで生きてきた、あるいは、経験してきたものを、それを今の時代にぶつけていく。それが継承につながるのではないかと僕は考えています。