別冊トランスアーツ|「記憶の撮影」人形遣い田中純の世界


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芝居をやっていない時期は

やっていないのは5年間ですね。
あとは全部、70年間、芝居をやってますね。

そうすると、何を考えるにしても、芝居から始まっちゃうんですね。

芝居を考えていないときはどんなことを考えていますか

ん、なんだろ、なんでも考えちゃうね。そうすると、転々としますね、考えが。

ぜんぜん、一つのものを考えているときに、全然、違うことを考えていたり。芝居を考えてると、四六時中、ずーっとそのおんなじ芝居の事を考えられんだけど。

日常的なことを考えると、何か気が多すぎちゃうのか、いろんなこと、バラバラになっちゃう。夢みたいな。(笑)

ご自宅では

飲んでるか、寝てるか。(笑)


海外や全国を旅してこられたわけですが、
中でも活動の中心というものはどこになりますか

江戸ですね。

江戸と東京と比べて、何か特別な思いはありますか

どうしても貧乏人ばっかり見てきちゃったんで、なんかそういう貧乏な佇まいっていうか、家屋でもそうですけど、懐かしいですよね。

だから、今みたいに、ある意味で、プチブル的なことじゃ無かったかなあ。
その代わり、ある意味長屋なのかな、江戸っていうのは。

それこそ、ご飯が足りないと隣に行ってご飯借りてきたりとか。調味料がないと、借りに行ったり。

そういう一つの「人間」が確実にいたっていう。

戦後になってきちゃうと、そういう人たちがいなくなっちゃって。家(ウチ)があって、知らないうちに、そのうちの人たちが、どっかへ買い物に出たりとかいうみたいなもんで、近所なんて、逆にうっとおしいみたいな。
まあ、日本の縮図ですけどね、やはり。

だから、優雅かなあ。昔の人は。
不自由だから、「人間性」を失っていない。




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