別冊トランスアーツ|ロングインタビュー「春夏秋冬」人形遣い田中純の世界


田中純 TANAKA JUN

東京生まれ、芸歴は70余年。
1938年、日本橋倶楽部にて初舞台。
1947年、革命児9代目結城孫三郎葬儀の席上、結城一糸を襲名。吉祥寺を拠点に、数々の実験芝居を繰り広げる。
1972年、名人10代目孫三郎を引継ぎ、11代目を襲名、座長に就任。
1990年12月、「結城座」の退座とともに孫三郎を返上、本名「田中純」に立ち返り、一代傀儡人形師として演劇活動を再生させる。
2005年、3代目結城一糸らと「江戸糸あやつり人形座」を設立。

その芝居は伝統芸能の枠を超えて先鋭的、革新と実験が常態する。
糸操り人形芝居の形式に滞留することなく、演劇家、音楽家、芸術家らとシンクロ、他領域をクロスオーバーする。
東京都無形文化財。創造学園大学特任教授。

現在、山梨県北杜市在住、早稲田にてカフェ「あららからら」を経営する。

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1635年(寛永12年)
初代結城孫三郎、萱屋町にて結城座旗揚げ
1801年(享和元年)
エキマン鏡興行
1841年(天保12年)
火事による芝居の全焼を期に風俗取締りが厳しくなり、水野越前守の天保の改革により芝居の市中興行が禁じられる。
1843年(天保14年)
田中喜兵衛(写絵師初代両川亭船遊、8代目結城孫三郎の縁戚)、浅草猿若町へ転居。*結城座は、中村座、市村座、河原崎座、薩摩座とともに葺屋町から浅草猿若町に移転を命ぜられ、400両の引越し金と人形遣いそれぞれに手付金が下賜される。
1866年(慶応2年)
米沢町に再興。
1869年(明治2年)
8月(~昭和22年(1947年)1月11日)、祖父田中清太郎誕生。
写絵師の両川亭船遊の子。糸あやつり人形遣いの山本三之助等に師事。
8代目孫三郎引退。
1900年(明治33年)
1900年、喜兵衛が9代目孫三郎を襲名、絵から糸あやつりに転じる。写絵も嗜み2代目両川亭船遊を襲名。
1903年(明治36年)
9代目孫三郎がそれまでの浄瑠璃に合わせて人形を遣う技だけでなく、人形遣い自らが人形を遣いながら役の台詞を云う「改良歌舞伎糸あやつり」を市村座で開始。
1907年(明治40年)
1月9日、祖父清太郎(9代目孫三郎)祖母らくとの間に、父清(10代目孫三郎、~平成9年(1997年)12月13日))、下谷竹町に誕生。実母は滝口きみ。
1911年(明治44年)
11月16日、父初舞台(6歳)。
1917年(大正 6年)
母喜久(竹本素京)、浅草千束町に生まれる。
1923年(大正 11年)
母喜久(5歳)、初舞台。
1923年(大正12年)
9月1日関東大震災。
1932年(昭和7年)
浅草東三筋町から両国へ転居
1933年(昭和8年)
11月27日、父母結婚。
1934年(昭和9年)
母喜久、大阪文楽座娘義太夫、最後の公演。
1934年(昭和9年)
12月6日、田中純誕生(0歳)。
1937年(昭和12年)
4月26日、祖母らく永眠。
母喜久の実家西大久保に転居。
1938年(昭和13年)
日本橋倶楽部で、初舞台(4歳)。
1941年(昭和16年)
鷺の宮に転居。
羽村へ転居。
1943年(昭和18年)
次男克昌誕生。
1945年(昭和20年)
3月10日、東京大空襲。
5月、盛岡疎開。
8月15日、終戦。
11月、名古屋へ転居。
1947年(昭和22年)
3月9代目葬儀席上、10代目孫三郎、結城一糸襲名。
吉祥寺に転居、芝居の拠点とする。
1957年(昭和32年)
「きりしとほろ上人伝」出演(芸術祭賞・団体賞受賞)
1970年(昭和41年)
9月、9代23回忌・10代舞台生活55年記念特別公演
1970年(昭和45年)
4月8日、望月翠と結婚(36歳)。
「日本の人形」シリーズ取材
1971年(昭和46年)
ナンシー国際演劇祭招待参加「ゴリラ・ゴリラ」上演。
1972年(昭和47年)
第11代目孫三郎襲名、座長就任。
5月30日襲名披露特別公演新宿朝日生命ホール
10代孫三郎結城雪斎、二男3代両川船遊、三男敬三3代結城一糸襲名。
1973年(昭和48年)
8月『傀儡戯恋江戸染八百町お七』公演
1974年(昭和49年)
インドネシア、フィリピン公演
8月、『少女仮面』公演
10月、『おんにょろ盛衰記』公演
1975年(昭和50年)
4月、『少女仮面』公演
10月、≪古典劇場≫発足
1976年(昭和51年)
1月、中近東(イラン、トルコ、シリア)公演
1977年(昭和52年)
4月、『ヴォイツェク』公演
1978年(昭和53年)
1月、『傀儡族縁起・お花ゆめ地獄』公演
1986年(昭和61年)
10代孫三郎、ベオグラード国際演劇祭での「マクベス」がベオグラード国際演劇祭特別賞受賞。
1990年(平成2年)
12月「結城座」退座、孫三郎を返上、「操り座おどらでく」を結成。
2005年(平成17年)
「江戸糸あやつり人形座」旗揚げ参加。
2006年(平成18年)
イタリア・スポレート「演出家のためのシンポジウム」講師。
2007年(平成19年)
「牡丹灯篭」(パリ日本文化会館)。
11月18日、母喜久(竹本素京)永眠。
2008年(平成20年)
「人形姉妹」(ニューヨーク公演出演)。
2009年(平成21年)
「古典小劇場」
2010年(平成22年)
「バッカイ」出演