ジャポニカの魅力を伝える
ピサの街に日伊文化協会みらいを設立されましたね。
協会は2009年6月に設立しました。
私にとってピサは馴染みの深い街なのです。ご存じのようにピサは、日本人にとって、ピサの斜塔で有名ですが、じつは、その他にも、興味深い多くの建築物があって、建築の街なのです。
イタリアで暮らしておりますとイタリア人、とくにイタリアの若い方々の日本文化への関心が高いことがわかります。
私自身、イタリアの建築をもっと知りたいと思って日本を離れ、研究目的でピサに来たわけなのですが、イタリア国内で活動していますと、逆に日本の文化について訊かれることが多いのです。
それでは、これを紹介することがとても大切なんじゃないかと思いが強くなってきまして、それで文化交流の団体を立ち上げました。
具体的にどのようなことを行っているのでしょう。
目的は、両国の友好を目指して学術・文化交流を促進を図るというものですが、
イタリア人の日本文化に対する高い関心が基礎になっていますので、主には、日本の文化や芸術、伝統といったものをイタリアに紹介することにあります。
たとえば、講演会やシンポジウム、展覧会、記録映像の上映会、あるいはコンサートや公演などの文化事業も企画します。
また、出版や教育関連の事業も手掛けていきたいと考えています。
異文化の紹介なので、リサーチや翻訳、通訳などの業務も付随して発生します。
日本文化を異国の地ピサに伝えることが、やがてはピサの街の魅力を日本に見せていくことにつながっていくと思っています。
これまでどのような活動を?
昨年6月には、プッチーニオペラ祭財団が企画する『PORTE APERTE ALLA MUSICA E ALLA CULTURA』に参加しました。これは夏のオペラ祭「プッチーニ・フェスティバル」のプレ・イベントです。
場所はトーレ・デル・ラーゴ・プッチーニの湖畔の劇場で行われますが、このトーレ・デル・ラーゴは、イタリア・トスカーナ地方にあり、ジャコモ・プッチーニ(1858-1924)が、1891年から1921年までの約30年間、この村で暮らしています。彼の主な作品(「蝶々夫人」、「トスカ」、「ラ・ボエーム」、「西部の娘」、「マノン・レスコー」、「三部作」)は、この村で作曲されているのです。
プッチーニゆかりの地です。フェスティバルは1930年に始まり、56回目を数えます。途中、戦争などで中断もあったのですが。
また、昨年11月には、ピサ市にあるレオポルダ旧駅舎で、JAPAN EXPO 第1回を開催しました。「Think Kyoto」をテーマに、ハイテクや伝統工芸の展示会、シンポジウム、また、日本への留学やセミナーを開催しました。
この会場となったレオポルダ旧駅舎は、ピサやリヴォルノへ向かうレオポルダ線の終着点であり、駅舎は、建築家エンリコ・プレセンティによって設計された新ルネッサンス様式の建築物として知られています。
つづく